文藝カレーシュウ

 休日のサウナ通いが習い性になっている。風呂入って、ビール飲んで、仮眠室でウトウト昼寝して……本を読む。サウナの友には、お仕事と直接関係のない本を選ぶことが多い……いわゆるリフレッシュだな。
 先日、サウナへ行く道の古本屋で筑摩書房の明治文学全集『岩野泡鳴集』を買った。岩野泡鳴については、今まで読んだことはなく、ただ、正宗白鳥の文章で触れられているのを「なんか、面白そうだなぁ」と気になっていたのだが、たまたま、棚に見つけてしまったのだ。『放浪』から読み始めた。めっぽう面白い。まったく身勝手な、どうしょうもない奴の、それゆえの悲惨な話なのだが、妙にポジティブなのが可笑しい。
 なんか……やっぱり、千野帽子“ガーリッシュ”とは無縁な、ダメ男臭さが田中の好みらしく、多分、ハードボイルド(というか、フィリップ・マーロウ)へのシンパシイも、そこらへんにありそうだ。『文藝ガーリッシュ』に対抗して『文藝ダメ男臭』なんて、どうよ? もう少し年寄りぶって『文藝カレーシュウ(加齢臭)』と銘打った方が、タイトル的にステキかな……
 で、戯れに……


『文藝カレーシュウ
はじめに

 カレーシュウ【加齢臭】(名詞)
 中高年に特有な体臭の俗称。 皮脂腺から分泌される脂肪酸の酸化、あるいは皮膚表面のバクテリアによる醗酵で出来る不飽和アルデヒドノネナール)が原因とされる。まったりと、親しげに擦り寄ってくるオヤジ臭さ……世間一般からは忌避されているが、鼻の粘膜にツンときて涙腺を刺激する作用に、胸を熱くするマニアもいる。
 (『巌浪俗語辞典』第三版より)

 昔、文藝は男子一生の事業にあらず“女・子ども”の玩弄物などと蔑まれ、それに携わる者も“文弱の徒”などと軽んじられ……しかし、その魅力に取り憑かれた輩は、文藝の途に邁進し――ルサンチマンを裏返し折り返して虚勢を張り、あるいは泣き言をこぼして江湖の同情を掠め取り、同好の士に勇気と自己慰安を与えてきた。
 その蓄積の一部は、しかし、近ごろ出世した“女・子ども”からも見捨てられ……いわゆるオヤジさながら、ウザイ・ダサイ・クサイなどと厭まれ、まったく……立場がないじゃないか! 
 この「文藝カレーシュウ」は、アルコールとサウナに耽溺する古の文学青年・田中博が、新たなルサンチマンを育みながら、心の琴線に触れた文藝作品を皆様に紹介する……そんな加齢臭紛々たる読書録である。
 起て! 団結せよ! 万国のオヤジ! 我等の時代は黄昏を通り越して暗夜行路に踏み込んだ。肩を組め! 慰め合おうじゃないか……


第一回 岩野泡鳴『放浪』
 樺太の蟹缶事業に躓いた泡鳴(作中では“田村”=刹那主義の實行哲理家)が、札幌まで引き上げてきてウロウロしながら、未練がましく事業の再興に淡い期待を抱きつつ、友達に迷惑をかけつつ、東京に残してきた家族を顧みず、愛人も放りっぱなしで、新しい薄野の女と馴染みになって……まぁ、ムチャクチャだよなぁ……
 明治43年に刊行された、いわゆる「私小説」スタイルだが、語り口は当時にしてはカジュアルな口語調で読みやすい。主人公は愚痴愚痴と景気が悪いけれど、グズグズに悩み込むことなく、それこそ身勝手な倫理を青臭い思想で補強して開き直り、そこらへんの相対化に成功しているかどうか微妙なところだが――ジメジメ感は希薄で、妙にカラッとしている。昔の札幌の雰囲気も書かれていて、オジサンは楽しい読書タイムをエンジョイした。
 札幌かぁ…… “文藝ダルビッシュというフレーズが思い浮かび、アタマから離れない。野球、甲子園、東北、北海道、ハム、タバコ、パチンコ……あまりにも散漫なキイ・ワードがアルコールに活性化された脳髄シナプスの短絡の錯綜に乱舞し、「CRITICA」第2号用の原稿に費やされるべきキャッシュ・メモリーを侵食している。ダメだねぇ……俺も。