ノートの中の悪魔

 前回の羽住さんの話に続いて、怖い話をしてみましょう……

 年老いた父母が、諸般の事情で引っ越すことになった。「お前の本を何とかしろ」ということで、実家に置いてある本の整理に出向いた。それについては、まぁ、大変だけれども慣れている。44年も生きて本を読み続けていれば、豪邸を建てない限り、粛清は避けられない作業だ。今日明日中に……でもないようだし、何回か通って選別すればよい。
 問題は、部屋の整理の過程で、奥のほうから発掘されたノートである。その存在を忘れていたわけではない。むしろ、ズーッと気にかかっていた。あんなものを実家に置きっ放しにしておいていいのか? 今度こそ実家に帰ったら持って帰ろう……などと思い続けながら、そのままになっていた。
 A4版の大学ノートが7冊……若い頃に、日記というほど律儀ではないが、書きなぐったノートだ。最初のノートの表紙に記されているのは、“1983.2.21〜”という日付。その頃、私は満19歳――「小説家になれたらいいなぁ……」とか、「哲学の本を読んでインテリになろう……」とか、「でも、それじゃ喰っていけねぇよなぁ……」とか思っていた頃である。自意識過剰で無教養な1980年代の文学青年が、酒を飲みながら書いた文章――それが、どれほどオソロシイものか……実に、悪魔のようなモノだ。ノートには、いちいちタイトルがつけてある。「明日交通事故で死ぬかもしれぬから」(1983.2.21〜1984.2.3)、「『俺』と思うために」(1984.2.6〜1984.3.19)、「黄色い錯乱坊の手記」(1984.3.21〜1984.12.28)、「何だかんだ言いつつも」(1984.12.29〜1985.5.16)、「ただでは起きぬ転び方の練習」(1985.5.16〜1985.9.12)、「欠如と過剰のリズム」(1985.9.13〜1986.1.10)、「懐疑は踊る」(1986.1.11〜1986.6.21)――うぅむ……これだけでも恥ずかしい。
 鼻をつまんでも読めたもんじゃない……読んだら恥ずかしさのあまり顔から火を噴いて死んでしまうようなシロモノである。最後のノートの表紙に記された日付が“〜1986.6.21”であるから、1986.4.1に就職して社会人生活を始めた私にとっては……青臭い大学生時代の“心の記録”みたいなものだ。いや……ホントに青臭かったわけよ。書いた内容についての記憶は……流石に物心ついていたし……それなりにある。背伸びをした無謀な思考……私生活についての色々なことも書かれているはずだし、それに関する変テコなテツガク的な言及とか……いわゆる自己欺瞞――自己演出――自己憐憫――自虐……そんなものに対する、インテリぶった自己反省……
 こんなものは、シュレッダーにかけてゴミに出すべきである。悪魔祓いだ! 明日、ヨドバシカメラへ行ってシュレッダーを買おう。

 ただ……パソコンやワープロなどという道具を持っていなかった頃に、ともかくも沢山の文章を書いたことについては、その内容がどうであれ、トレーニングみたいな意味はあったのだと思う。2冊目なんて、1ヶ月半でノートを1冊書き潰してるじゃんか……まぁ、当時はヒマを持て余していたにしても、書くエネルギーというか、気持ちの強さは、今からでは考えられない……そして、今の自分のベースになっているのは、多分、このノートなのだ。
 で……このところ「書く」ことにヘタレている自分に、ノートの中から悪魔が囁いてくる……「読み直してみたら?」と――