フランケンは「怪物」くんか?

 

 Mary Shelley『Frankenstein』(penguin classics)の調査結果。 4〜5年前に辞書を引き引き読んだので、「日記」でもなんでもない。しかし、今月17日から「怪物くん」の実写ドラマがスタートするらしく、せっかくだから「日乗」にアップせむ。

 ただし、内容的には英文学の世界で「常識だよ」「いまごろなにいってんの?」というたぐいのものかもしれない。

 以下で内容に触れます。














 ヴィクター・フランケンシュタイン博士がつくり出した人造人間こそが「フランケンシュタイン」なのだ、という誤解が巷には存在する。博士より人造人間のほうが有名になってしまったせいだろう。藤子不二雄A『怪物くん』にでてくるキャラクター「フランケン」が誤解のモト、という説もある。

 原作の人造人間には名前がない。ただ「怪物」と呼ばれるだけである。だから、「フランケンシュタインの怪物」と表記するのが正しいのである。


       ちょっと待ったああああ!


 それは本当のことですか? 原作では、ほんとうに「怪物」と呼ばれているだけなんですか? 

 なるほどたしかに、創元推理文庫の森下弓子の翻訳では、ほとんど「怪物」である。表紙の見返しの登場人物紹介でも「怪物……ヴィクターが創造した人造人間」とある。

 すると、おおかたの日本人は「怪物=monster」と考え、原書では「monster」と呼ばれているのだろうな…と、思うはず。

 本当か、と。われわれ読者は森下弓子と創元推理にだまされているんじゃないか、と。

     以上の目的意識をもち、原書を調査したのであった。


 結果からいうと、人造人間の呼び方には次のような言葉が使われている。

 1・creature(被造物)  2・fiend(悪鬼)
 3・wretch(できそこない) 4・monster(怪物)
 5・deamon(悪魔)     6・adversary(仇敵)


 1はいちばんニュートラルな表現。肯定・否定的な要素はなく、価値判断が混入されていない。2は否定的な使い方。4・5・6も否定的。

 いちばん目立ち、特徴的に使われるのが3。

 wretch というこの言葉、手持ちの大修館ジーニアス英和辞典(2版)によると

 1 気の毒なひと、とても不幸なひと。
 2 (しばしばおどけて、けなして)見下げ果てたやつ、悪党。
 3 (愛情をこめて)やつ、わんぱく小僧。

   肯定面、否定面、両方の意味をもつ言葉らしい。

 Mary Shelley は当初、4・monster をあまり使っていない。かわりに使用頻度が高いのは、この? wretch なのだ。作者が人造人間に「かわいそうなやつ」と同情を寄せていることが推測される。形容詞 wretched は「哀れな・ひどく不幸な・悲惨な・みじめな・あさましい・劣った」だから、wretch は「miserable person」「unhappy man」だろう。monster とは語感がずいぶんちがう。

 美徳や人間的な感受性、紳士的な態度に対する知覚を有しているが、他人に姿をみせたとたん、だれもが恐ろしがって逃げていく。自分は孤独だ。人間のなかで生きていくことを拒絶されている――miserable,unhappy wretch!(p123)

 ただし、上述の結論は物語の前半部分のみに適用される。wretch には否定的な意味があり、ここなどはその典型。

p144‘He struggled violently,“Let me go,”he cried,“monster! ugly wretch! you wish to eat me and tear me to pieces――you are an ogre――Let me go,or I will tell my papa.”……

(大森訳)「あの子はひどくあばれた。『はなせよ』と叫んだ。『ばけもの! みにくいできそこないめ! ぼくをずたずたに引き裂いて食べるつもりだろ――この、人食い鬼――はなせ。さもなきゃ、パパにいいつけるぞ』……」

(森下弓子訳)「子供はばたばたもがいて、『はなせ』と叫んだ。『怪物め! 醜い化け物! ぼくを食う気だろ、バラバラにちぎる気だろ――人食い鬼だ――はなせよう、パパに言いつけるぞ』……」


 こういう wretch はもう monster と同じような意味であろう。叫んでいるのはヴィクターの弟ウィリアム。この直後、人造人間に殺される。
 このあと、人造人間には急激に「monster」が使われるようになっていくんである。ヴィクター殺害の前、と後で、人造人間の呼称ががらりと変化する。前のほうはその立場に同情的だったのに、後のほうでは否定的になる。

 では、物語後半部分では wretch は使われないのか? これが使われるのである。ただし、人造人間に、ではない。フランケンシュタイン博士にだ。

p206“I am satisfied:miserable wretch! you have determined to live,and I am satisfied.”

 この台詞は人造人間がフランケンシュタインにいっている。自殺を考えた博士が結局、生きることを選び、それを知った人造人間が「生きて苦しめ」と嘲笑するシーン。

 創造者のフランケンシュタイン博士と被造物の人造人間の「分身」関係はすでに古くから主張されている。 wretch という言葉を媒介しても、この「分身」関係は成立する。

     creator=wretch=creature

 そう考えれば、日本の読者が博士と怪物を混同するのは、実は、作者Mary Shelley の意図どおりにも思えてくるのだ。「混同」は正しい受容態度なのである、と。

 とはいえ、正確な表現でないことはいうまでもありません。