鉄コン筋クリート(その2)

11日の雑文の続きである。
鉄コン筋クリート』の中でクロは、街の鼻つまみ者のヤクザ・ネズミ(鈴木)と対立関係にある。しかしながら一方で、昔ながらの宝町に愛着を感じる点で、両者は共通してもいる。実際、ネズミの死に水を取るのは、ほかならぬクロだ。
ネズミは昔なじみの刑事に向かってこう語っている。

俺はこの街で全てを覚えた。/酒・タバコ・博打・女・シノギ。/俺はこの街が好きだった。/お前ら警察に追い回されるのに嫌気がさして、この街出てからもな、藤村……/俺は宝町の事ばかり考えていたよ………(320〜321頁)

そうした宝町の否定者となるのが、大都会からやって来たと思しき現代ヤクザ・蛇である。彼は宝町の再開発によるテーマパーク化を目論む。宝町を否定する存在といえば、クロの相棒のシロもまた、この町を嫌っている。「嫌いだよ……/こんな街」(324頁)、「燃えちゃえばといいんだ。こんな街。シロ、こんな街いらない」(342頁)。そうシロは呟く。
では、宝町肯定派=ネズミ、クロ、宝町否定派=蛇、シロかと言えば、ことはそう単純ではない。
というのも、クロ自身の根底にも宝町を破壊したいという欲望が眠っているからだ。その欲望はイタチという餓鬼の姿を得て顕現する。考えてみれば、クロが宝町を「俺の街」と呼ぶ一方、蛇もまた宝町を「私の街」呼ばわりしていたはず。宝町をわがものと考えるベクトルにおいて、この二人も共通しているのだ。
どうやらこの作品を、レトロ都市/テーマパーク都市という一次元で整理しようとしたのが間違いのもとだったのかもしれない。
たとえば、都市(秩序)/自然(渾沌)という軸を設けて、それぞれをさらに細分化してはどうだろう? 都市(秩序)を指向しながら、レトロな都市に愛着を感じるのがネズミで、再開発によってテーマパーク都市を建設しようとするのが蛇である。片や、宝町にありながらも自然(渾沌)を指向するのがシロとクロ。ただし、都市否定者としてのクロが欲するのが都市が崩壊した後の廃墟の風景であるのに対して、シロは都市以前の自然を夢想する。シロが願うのは宝町という都市ひとつの繁栄ではなく、地球という星そのものの平穏である。

もちも――ち、こちら地球星日本国シロ隊員。おーとーどーじょー。/今日もこの星の平和はキチンと守りました。どーじょー。/この星はとても平和です。どーじょー。(610〜611頁)

あるいは、歴史という切り口から整理してもよいだろうか。人の築いた歴史にあって、ネズミは「過去」を、蛇は「未来」を象徴する。シロとクロは人の歴史の外側に飛び出ようとするが、そのときクロが、歴史の終焉へと跳躍するのに対して、シロが想うのは歴史以前の未生の時間である。
古き良き過去と冷たい未来、あるいは、都市と自然。個々に見れば、いささか陳腐な二項対立図式だが、これらの対立を巧妙にたすきがけにしたところで、宝町という書き割り都市には微妙な奥行きが生まれたように思う。

なお、文中での作品引用は、『鉄コン筋クリート All in One』に拠った。

鉄コン筋クリートall in one (ビッグコミックススペシャル)

鉄コン筋クリートall in one (ビッグコミックススペシャル)