聖餐城
- 作者: 皆川博子
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/04/20
- メディア: 単行本
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しかし、読了してみると、事前に想像していた内容とはいささか風合いが異なっていた。前半こそルドルフ2世、ヨハンネス・ケプラー、ヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエなどといった一癖も二癖もある人士が出没し、錬金術、薔薇十字、カバラといった意匠がこれでもかとばかりに投入されるのだが、作中でそうしたオカルティックな風合いは徐々に後退してゆき、後段は戦争シーンが続き「小説・三十年戦争史」といった趣が濃くなる。
それはそれでたいへん興味深いし「ドイツ全体が疫病にかかってじくじくと膿み崩れ」「戦えば戦うほど、膿んで瘴気を漂わす沼の中に足を取られてゆく」(578頁)姿を存分に物語っているかもしれない。ドイツ社会が四分五裂して互いを貪りあうありさまが、皆川には珍しく生硬ともいえる筆致の中で描出されてゆく。しかしこの時代における欧州の分裂は、国家間という俗世の争いばかりでなく、旧教と新教、ユダヤ教、そして薔薇十字思想に代表されるさまざまな霊的思想が混在によって引き起こされてもいたはず。民衆の送る日常生活のみならず、聖なるもの、霊的なるものもまた「じくじくと膿み崩れてゆく」時代ではなかったか。そして『薔薇密室』や『伯林蝋人形館』の作者である皆川には、一七世紀欧州精神史が抱えこんだそうした闇、頽廃をも描いてほしかった……というのは、当方の手前勝手な期待にすぎないだろうか。ついつい、グスタフ・マイリンク『西の窓の天使』(世界幻想文学大系〈第38巻 A〉西の窓の天使 (1985年)世界幻想文学大系〈第38巻 B〉西の窓の天使 (1985年))の皆川版のようなものを想像していたのだが……。
余談ながら、本書の主要参考資料には挙げられていないが、フランセス・イエイツ『薔薇十字の覚醒―隠されたヨーロッパ精神史』(工作舎)は、この時代のオカルティックな精神史を垣間見るうえで必読と思う。『聖餐城』にも登場するボヘミアの冬王フリードリヒと薔薇十字友愛団の関連を論じながら、英国への薔薇十字思想の波及まで論じたこの書籍は、実にスリリングであった(こちらを読んだのは二十年ほど前になるが)。付録として二つの薔薇十字文書「友愛団の名声」「友愛団の告白」も収録されていてお徳用。皆川作品中にも登場する第三の薔薇十字文書、アンドレーエの『化学の結婚――付・薔薇十字基本文書〈普及版〉』(紀伊國屋書店)も、種村季弘の手になる邦訳があることを、付記しておこう。