[大森」たそがれ

 岡田暁生の『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』(中公新書)で興味深いのは、「第六章 爛熟と崩壊――世紀転換から第一次世界大戦へ」の「破局か越境か――第一次世界大戦前夜」という節の部分。

 マーラー(1860年生まれ)、ドビュッシー(1862年生まれ)、リヒャルト・シュトラウス(1864年生まれ)は、ほぼ同世代。
 彼らは時代のもっとも前衛的な作曲家として知られていたし、シュトラウスはもっとも過激な歌劇『エレクトラ』(1909)では、実質的に調性を崩壊寸前にまで追い込んでいた。しかし、曲の途中でどれだけ不協和音を使っても、シュトラウスはほぼ例外なく最後は三和音(ドミソ)で曲を閉じる。むしろ、そうした不協和音は最後の和音を美しく響かせるために必要な処置だったとまでいえそう。
 つまり、マーラーもドビュシーもシュトラウスも、当時の人々からどんなに「反逆児」のレッテルを貼られても、広い公衆へのアピールは忘れなかった。

 しかし、その後の世代であるシェーンベルク(1874年生まれ)、ストラヴィンスキー(1882年生まれ)になると、公衆に対してさらに過激なスタンスを取りはじめるようになる。
 彼らがやってのけたのは、西洋音楽の枠組みを根底から覆しかねない実験だった。シェーンベルクは曲のなかから一切の協和音を締め出してしまう(「六つのピアノ小品/作品一九」1911)。ストラヴィンスキーは拍子の一定性を破壊する(『春の祭典』1913)。

 ロマン派の音楽史を支えていたのはオリジナリティの原理だ。音楽家たちは過去を踏まえつつ、その上に何か独創的で新しいものをつけ加えるべきだ、という神話にとり憑かれていた。
 しかし、ストラヴィンスキーはその「歴史の進歩」や「オリジナリティ崇拝」を否定する。彼の作曲原理は様式引用、アレンジ、平たく言えば「パクリ」と「継ぎ接ぎ(パッチワーク)」で、ロマン派においてはもっとも軽蔑されていたものだった。

 以上は、『西洋音楽史』からほとんどそのままの引用・要約。
 これによく似た言説をどこかで読んだことがある。どこかで…。どこかで…。

 たとえば綾辻行人(1960年生まれ)、我孫子武丸(1962年生まれ)、法月綸太郎(1964年生まれ)。

 または清涼院流水(1974年生まれ)、西尾維新(1981年生まれ)。

 それぞれ100年前に生まれた音楽家たちに代入してみれば…。
 『エレクトラ』は『パズル崩壊』に置き換えられます。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)