統計学的知と本格ミステリをいかに突き合わせるか

ジャーロ」No.47の「〈MYSTERY ランダムウォーク〉(第16回)毒殺と確率論的世界」で、限界研・編『21世紀探偵小説』収録の「結語――本論集の使用例」(飯田一史)に言及したところ、飯田さんのブログ「insight critic」で的確なコメント をいただきました。以下、走り書きですが、ご返事申し上げます。

じゃあ何が言いたかったかというと、僕は1+2が大事ですよね、と言いたかったものの、1の前提となる統計学的な手法だの確率論的思考と言ったことにだけ注目されているのでは、という印象をなんとなく受けたのが個人的に気になった、てなスーパー些末なことですね……。

これは飯田さんのおっしゃる通りで、拙文で「注釈」という言葉をつかったのも、本丸に切り込んだとは言いがたいところがあるからです(ヘレン・マクロイの「歌うダイアモンド」に関しては、飯田さんの感想を聞いてみたいのですが)。枚数の都合で一面的な文章の切り出し方をしてしまったため、これでは単なる揚げ足取りなんじゃないかと気になっていたのですが、冷静に読んでいただいて感謝しております。

拙文であげた作品のなかで、一番クリティカルなのはスタニスワフ・レムの『枯草熱』でしょう。ただ、レムを本格ミステリ作家と呼ぶのはさすがに苦しくて、及び腰になってしまったのが敗因かと。『枯草熱』にしろ、ゾンビ小説の『捜査』にしろ、レムのSFミステリは従来の本格の文脈からするとものすごく扱いに困る小説で、むしろ「21世紀探偵小説」の先駆と見なした方がいいのではないか(これは巽昌章氏の示唆によるもの)と思います。

今号の「ジャーロ」は読みどころが多くて、飯田さんも書いていましたが、『ロスト・ケア』の葉真中顕氏のインタビュー、Excel云々のくだりは、拙文のウィークポイントを突かれたような気がしましたし、限界研・海老原豊氏の「謎のリアリティ(第11回)ミステリと複雑系」も、隣接するテーマを扱っていて、ずいぶん勉強になりました。

そしてカオスをミステリに導入すると因果関係の記述が原理的に不可能となり、動機を説得的に提示できなくなる。謎−論理的解明という因果律を屋台骨とするミステリとカオスは、端的にいえば相性がよくない。(海老原豊「ミステリと複雑系」)

カオスにしろ、Excelにしろ、紙の小説に実装するのはほぼ無理、というのが「21世紀探偵小説」の現時点での最大のネックなのではないかと思うのですが、紙の小説で生計を立てているオールドタイプの書き手からすると、たとえ不正確な濫用でも、当面は1+2を低コストな「修辞」でだましだまし繋いでいくほかないんじゃないか、というのが偽らざる実感です。