鉄コン筋クリート(その1)

松本大洋のマンガ原作をアニメ化した劇場映画『鉄コン筋クリート』を、先日見に行った。昭和レトロをベースに多国籍風味を諸神混淆した都市「宝町」の緻密な描写と、その街を(文字どおりに)飛び回る二人の少年、クロとシロの姿が見どころである。
この作品を乱暴にまとめると、古き良き宝町を再開発して、そこにテーマパークを建設しようとするヤクザ〈蛇〉と、それに立ち向かうクロという図式になる。もっとも、こうした要約はあまりにナイーヴに過ぎ、いっそ噴飯物と言って差し支えないだろう。
だいたいが、都市とテーマパークをそんなに画然と色分けすることができるのだろうか。たとえば、建築家のレム・コールハースは、20世紀都市の祖型ともいえるニューヨークの成り立ちを、コニーアイランドの遊園地群に見ている(『錯乱のニューヨーク (ちくま学芸文庫)』)。だから、都市が「真実」であって、テーマパークは単なる「書き割り」と考えるのは、いささか単純すぎるように思うのだ。
「書き割り」と言ってしまえば、昭和レトロな風景自体が、現代では既にしてテーマパークの展示物=書き割りではないだろうか。たとえば、ナムコナンジャタウン新横浜ラーメン博物館などの都市型のフードテーマパークは、屋内に昭和三十年代の下町風景を再現している。そういえば、劇場版『クレヨンしんちゃん』の一作「嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲」も大阪万博をモチーフにした「20世紀博」を作中に導入していたが、こうした屋内型テーマパークにインスパイアされた面があるのではないか。そして、こうしたヴァーチャルな試みがリアルに跳ね返った例として、昨今注目を集めている大分県豊後高田の「http://www2.megax.ne.jp/buntaka/shouwanomachi/shouwanomachi.htm」を挙げることもできよう。
そんな風に考えてみれば、昭和レトロな街並みをCG技術によって魅惑的に表現した宝町の風景は究極の「書き割り」ではあるまいか。考えてみれば、松本大洋の原作における背景画はある意味、実に書き割りめいていた。その原作の都市風景をよりリアルに再現した映画の宝町は、その緻密さゆえにかえって書き割り性が際立つように思う。
そしておそらく、製作者サイドはこうした点に自覚的である。というのも、宝町の原風景と、蛇の計画するテーマパーク「子供の国」のデザイン・コードは相当程度共通していて(たとえば、インドのガネーシャを思わせる象の意匠)、綺麗な二項対立を構成してはいないからだ。
(続く……かもしれない)