犯罪を犯す

 最近、話し言葉で「犯罪を犯す」という表現をよく耳にする。「罪を犯す」自体が「犯罪」なので、「犯罪を犯す」では「切腹を切る」「頭痛が痛い」などと同じ過剰表現であろう。

 「違和感を感じる」にも違和感がある。
 「違和感」自体ですでに「違和を感じている」のだから「違和感を覚える」「違和感がある」とでもすべきだ。

 日本語の乱れを目くじら立てて批判するのは性にあわないし、そういう向きに懐疑的なのだが、「犯罪を犯す」はさすがにどうか。

 というのも、「犯す」には「マイナスの働きかけをする」という意味があるのだから、「犯罪を/犯す」では「犯罪を/撲滅する」「犯罪を/減らす」という意味が生まれ、発言者の意図に反するのではなかろうか。

 もともと「犯罪を起す」という表現があり、この「起す」が「犯す」に転化したのではないか、と愚考する次第。




 似たような現象は「タイムスリップ」という言葉にもある、と思う。

 タイムマシンものの小説、映画で最近よく使われる「タイムスリップ」という言葉だが、本来は

 〈タイムトラベル〉目的の時間がはっきりしており、主体的に過去・未来に移動する。

 〈タイムスリップ〉目的の時間は不明確で、アクシデントや事故のせいで過去・未来に送られてしまう。

 という使い分けがあった。しかし現在では「タイムトラベル」という言葉を見かけなくなり、「タイムトラベル」の意味で「タイムスリップ」が無批判に使われている。

 「タイムトラベル」とほとんど同じ意味で「タイムトリップ」という言葉がかつて使われており、この「トリップ」が「スリップ」にスリップしたと愚考する次第。



 SFというジャンルが強固で求心性があった時代には、こうした言葉の使用は厳格だった。ジャンル意識のゆるみが語句の転化・変遷をゆるしてしまうのだろうか。