「セーラー服と縞のシャツ〜その由来と広がり〜」@横浜マリタイムミュージアム

横浜マリタイムミュージアムで開催されている「セーラー服と縞のシャツ〜その由来と広がり〜」を見てきた。
水兵、船員の制服、日常服であったセーラー服と縞シャツが、日本でどのように普及定着していったかを展示紹介したもの。

日本での洋服の普及には制服の存在が欠かせない。中でもセーラー服の簡便な作りは、縫製のしやすさ(→安価に作れる)、動きやすい(→女子学生の運動服にも使われた)という利点となって洋服普及の一助となったというのは、なるほど説得力を持つ。
現在、目にするセーラー服は、袖には袖山があるし、体の立体を反映したダーツが入った作りになっており(通常、洋服はそのように作られる)、つまりは服を畳むときはそれなりに気を遣わないと服が皺になるわけだが、明治大正期の海軍のセーラー服の実物を見ると、まるで貫頭衣というか着物のように平たく畳めてしまう折り紙のような服になっている。これなら高度な縫製技術はいらないので、作りやすかったことだろう。(図1)
同時期のロシア海軍のセーラー服も同じ平たい作りで展示されているので(大きさは日本海軍の1.5倍ほどある。。。)、洋服縫製の技術のなかった日本独自のものでもなく、立体体型の西洋人も十分着られるものらしい。それに、長い洋上生活の中で、繕い物をするときに直線縫いなら水兵自身でできるのも重要なポイントだろう。
今回、明治大正期の海軍のセーラー服は、マネキンに着せるのではなく、額縁に収める形式で展示してあったので、平面的な形状がよく分かった。
本企画展では、図録の制作がされていなかったので、いくつか展示物をメモしてきたので、それに沿って解説。
(図2)上は日本海軍一種のセーラー服。水色の衿カバーや折りたたみナイフをつるす紐等の付属物がついていてお洒落度アップ(実用品がお洒落に見えるのはなぜ?)
下は、現代の各国の海軍の制服の中で、私がお洒落だと思った東ドイツ1980年代のもの。カフスに曲線遣いがあるのと、袖のふわりとしたゆとりが絶妙。
子供服としてもセーラー服は人気が高い。その例として数点の子供服の展示があったが、(図3)は色遣いが実に素晴らしかった。ベージュと白の取り合わせにきりりとした紺のラインを入れている。
今回の企画展の目玉のひとつが(図4)の平安女学院のワンピースタイプのセーラー服。これまで女子学生の制服としてセーラー服の採用が最も古いのは、福岡女学院の大正10年とされてきたが、制服メーカーのトンボの調査により京都の平安女学院大正9年採用、という1年早い事例が判明したそうだ。それで今回はそのレプリカが展示されていた次第。大正、昭和の女学生の写真や挿絵でよく見かける、たっぷりとした身頃とローウエストの太幅のベルトといった特徴がよく出ている。
図1 図2
図3 
図4