『黄色い部屋はいかに改装されたか? 増補版』

都筑道夫『黄色い部屋はいかに改装されたか? 増補版』が、フリースタイル社から刊行されました。編者の小森収氏からの依頼で、私も10ページほどの解説を書いたのですが、紙幅の都合その他で書きそびれたことがずいぶんあります。刊行記念という名目で、書き落としたトピックをいくつか補足しておきましょう。

「黄色い部屋はいかに改装されたか?」を読むと、「トリックよりロジック」という前半の主張と、「名探偵よ復活せよ」という後半の主張との間に飛躍があることは、どうしても認めざるをえないと思います。「名探偵論争」もそうですが、この飛躍をどう埋めるかというのが、モダーン・ディテクティヴ・ストーリイ論のポイントでしょう。

その飛躍を埋める補助線のひとつとして、若き日の都筑道夫が師事した大坪砂男の作風を参照してみてはどうか。1993年、国書刊行会の[探偵クラブ]叢書に収められた『天狗』の解説、「サンドマンは生きている」の中で、都筑は次のように記しています。

 おりから、戦後最初の探偵小説ブームが起りはじめていたが、二十一年末に、漢字制限が実行されて、偵の字がつかえなくなった。探てい小説と書かなければならないのは、どうも落着かない、と木々高太郎が提唱したのが、推理小説という名称だった。それに魅力を感じて、大坪砂男はミステリイを書きはじめ、佐藤春夫のめがねにかなったのが、『天狗』『赤痣の女』『三月十三日午前二時』の三篇だったらしい。感情の解放を、これまでの小説は、情緒をもって行ってきたが、エドガー・アラン・ポオはそこに論理を持ってきて、短篇小説の新しい書きかたを世にしめした。したがって、必要なのは探偵という人間ではなく、論理を推【すす】めることだ。「推理によって、叙情する文学」と、大坪氏は表現していたが、そこに魅力を感じたのだった。【太字強調は法月】

しかし、文体の精錬に意を注ぎすぎるあまり、大坪砂男はどんどん寡作になっていきます。ある時期からは、ストーリイの腹案を執筆協力者に口述して、第一稿を書いてもらい、それを叩き台にして一から自分の文章に書き改めていく、というやり方をしていたようです。都筑自身、「たしかに私も二作ほど、第一稿を書いている。ほかの作品を、手つだったひとも、知っている」と打ち明けています。

 だが、当時の私は、「要するに、へたに書くと、どうなるかわかれば、うまく書けるんだ」と、ひがんで、だんだん大坪氏から離れていった。私の原稿生活も破綻して、方向転換をやむなくされ、早川書房につとめるようになったから、暇がなくなったせいもある。「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン日本語版」の編集を三年半やって、私が小説家にもどったころには、大坪氏の名は雑誌では見られなくなっていた。

「探偵という人間」を必要としない、「論理を推めること」に特化した「推理」小説は、ジャンル小説としてのアクチュアリティを失って、先細りしてしまう危険を秘めている。だからこそ、モダーン・ディテクティヴ・ストーリイには、「探偵という人間」をあらかじめインストールしておかなければならない――やや穿ちすぎの見方かもしれませんが、青年時代の都筑道夫は、大坪砂男という反面教師から、そうした教訓を学んでいたのではないでしょうか。【この項つづく】

黄色い部屋はいかに改装されたか?増補版

黄色い部屋はいかに改装されたか?増補版

天狗 (探偵クラブ)

天狗 (探偵クラブ)